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海外在住 オタクおばさんの日記?!? FRM蘇州・中国
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引越しの思い出 4: 北京 → 日本

引越しをしていると、いろいろと引越しについて思い出します。 その第4弾。
北京から、日本へのお引越しです。
このシリーズ「アメリカ→中国」を1回にしましたから、「-2回」かな
でも、このときが実質初めての海外お引越し。1990年のことです。

このとき、つわり真っ只中で
作業のほとんどは、このとき、滞在してくれていた母がやってくれました。


梱包して、梱包品リストを個人で作ります。
箱は閉めてしまわずにおいて、
業者さん+税関担当者のチェックのあとにテープしたような記憶があります。

業者さんもいくつもない時代でした。
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お引越しをしていると、いろいろとお引越しについて思い出します。 その第3弾。
日本から、中国・蘇州へのお引越しです。

日本の滞在期間は長くて3年といわれていました。
で、3年を前に、中国復帰が決まりました。
子供の学期のキリを考えていただいて、夫は先に赴任、学期末のあと速やかに引越しとなりました。

夫がいなかったので大変でしたが、
今考えると、一番楽な引越しだったかもしれません。
娘15歳、息子12歳。
いろいろと助けてくれました。

そして何より、業者さんが、会社負担の範囲内で至れり尽くせり....
(私にとっては...)

社宅を引き払った最終日、
友達が来てくれて最後の雑多を引き受けてくださったり...
同郷の管理人さんがよくしてくださり...
最後、駅の改札をくぐったときには、涙が出ました。
お引越しをしていると、いろいろとお引越しについて思い出します。 その第2弾。
北京から、日本へのお引越しです。

このお引越しには、いろいろなイレギュラーなことがありました。

1. 夫が中国国内で単身赴任。
2. SARSで、中国国内移動が制限。(=引越しを夫が手伝えない)

SARSは、今現在、話題になっているMERSと似たような病気で、
あの当時かなり大騒ぎになりました。
一般市民の移動すら制限があったんです。

それに加え、娘の高校進学云々の問題が出てきました。


いろいろありましたが、

1. 夫は、北京に寄らず帰任。
(結局帰任が決まる前の大分まえの春節後から、
私たちの帰任まで一度も顔を合わせませんでした。)
2. 引越しは、私主導、会社補助で行う。

ということで話が進みました。


当時、北京全体が重苦しい雰囲気に包まれていました。
WHOからの勧告などもありましたしね。

家具付の外国人向けの住居に住んでいたので、
船便の荷物を送って、あとは、航空便で送るだけになったころには6月に入っていました。

最後の最後...
娘はもう1年(中学卒業まで)北京に残ることがきまり、
最後の最後のばたばたを、娘の身元引受人になるかたにお任せしてしまいました...。

荷物の最終引渡、お部屋の引渡... を終えて、空港に向かう車の中から見えた空があまりにも
青かった覚えています。
そういえば、6月... 取るものもとりあえず、日本に帰ったことがあったなぁ... そんなことも思い出しました。
お引越しをしていると、いろいろとお引越しについて思い出します。

アメリカ → 北京 のときは...
海外引越しに慣れている業者さんに依頼しました。
その業者さんは手続きなどをメインに行い
実際の作業は現地の引越し業者さん... 
というスタイルでした。
最終引越し当日...
私たちの予定は、荷物の搬出後、部屋を引き渡し、アメリカを離れるべくホテルに移る!
子供たち(娘7才、息子4才)は引越し作業が終わるまでは夫がケア。
部屋の引渡などは夫が行うので、私と子供たちはホテルに移動...。という予定でした。

ところが
業者さんの担当者は来たものの、
予定の時間になっても実際の作業を行う業者さんが来ない!
手持ち無沙汰でしたから自分たちで少しずつ作業しましたよ ^_^;
何もしないでいると、イライラするし...
海外引越し業者さんも、予定の時間内に終わらなかったら大変だ!というのがあったからでしょう。
普段は監督だけでよいのに、実際の梱包やらなにやら手伝ってくささいました。

その後、かなり送れて、引越し作業の業者さん到着!
もうびっくりでした!
あれよあれよ!というまに、梱包ができて、こんな重いの大丈夫?という箱が搬出されていきました。
そして予定の時間よりも早い時間に作業完了しました。
(かなり遅れてきたから、馬力が入ったのだと思いますが...)
ちなみに作業員は体格の良い白人男性ばかり、数人でした。

肉体的にも精神的にも疲れて、予約していたホテルにはいって、何気なくテレビをつけて...
「あ!長野オリンピックだったんだ...」
と思ったことです。

「な~がの?」、 「なが~の?」 どちらが正しいの? と
アメリカの人たちからそういえばよく聞かれたなぁ

そういえば、これ以外にもビザの取得などで、大騒ぎしたような...

たま~~~にですが、アメリカ→中国 とか、 
他国→中国という予定の方から夫が相談を受けることも...








午後の2時に来ていただいて、新しいお部屋の指定の場所に設置... まで1時間でした。


搬送業者のお兄さん、ピアノを見てびっくり仰天!
「このピアノか... でかい!」
あははは、でかいのよ... 言われなくてもわかっている。

そして
「このピアノ、日本から持ってきたんだね。
 いいピアノだ!」
って
あははは... お褒めいただいてありがと!


調律、どうしようかな...
どこか、ピアノ屋さんに行って相談しようかな...
娘が帰ってこないことをいいことに、このところサボっていたかなぁ...
以前お願いしていた調律師のかた... 名刺?がなくなっちゃったのよね...
ピアノのどこかに調律履歴として置いてあるっていっていたけどなぁ...

それはお引越しが終わってからのこと!
とりあえずは、明日の荷物、第1陣の搬出に向けてがんばろう!
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自己紹介:
海外在住歴 
7年(中国・北京)+
6年(アメリカ・ミシガン)+
5年(中国・北京)+
10年目(中国・蘇州)進行中

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